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1000年待ってください

あるいは「あはれ」の研究 ——もろさに立脚した語り口の習作

2023年7月22-23日 IAMAS OPEN HOUSE 2023

OPEN HOUSE 特設サイト

5月、情報科学芸術大学院大学の活動を外部に発信するイベント、IAMASオープンハウスへの展示企画が募集されていた。自分もなんかやりたいと思ったが、私はもう学生ではなく、一職員の分際で大きなものを出すのもなんだから、という気兼ねもあり、作品未満の「習作」をこじんまりと展示することにした。それは1年くらい前に思いついた食品を使った彫刻のアイディアで、自家製ピクルスを核廃棄物に見立てて展示するというものだった。

ピクルスと核廃棄物は、長期間保存されるものだから似ている。ガラスに封入されることがあるところも似ている。

一方における保存は、最終的には食べられることが前提にあり、熟成であり、滋養であり、腐敗の危険でもある。他方の保存物は煮ても焼いても食えない。人間の尺度からすれば気の遠くなるような時間であり、不可視の放射能による毒と理不尽な空間の再編成をともなう。

核技術の問題を背景にしているとはいえ、私は「原発反対」のようなメッセージを安易に読み取れるようなものではなく、その一歩手前で、核廃棄物はすでにこの世にある、ということから感じられるものを表現してみたいと思った。

放射性物質の半減期の天文学的な時間尺度の前にして、人間存在の儚さそのものが浮かび上がる。御涙頂戴的な感情の消費ではなく、自らの置かれた状況を受け止めるということは、本居宣長のいう「もののあはれ」を、変態的に肯定することではないだろうか。「あはれ」というものを、事物のもろさ、不完全さ、有限性、そうしたものと向き合った人に呼び覚まされる情緒の形態と捉えたとき、核廃棄物の「あはれ」というものをみてみたいと思ったのだ。

初期の試作品

黄色のパプリカに赤のパプリカを嵌め込んで放射能標識(ハザードシンボル)を作った。リュックサックにいれて運んだらほとんどがバラバラになってしまった。酢に水や砂糖や塩、スパイスを混ぜたいわゆるピクルス液に漬けている。

ちなみに普段の私はこんなピクルスなど絶対に作らない。こういうものを作った動機には、中流的な生活の楽しみといったものに対する恨みが、どこかにあったような気がする。山盛りの米飯数杯と即席味噌汁で命を繋いできたような人間が、石油を吸ったパプリカを買って小洒落たものを作る、という事態を私はシニカルに楽しんでいたように思う。

放射能標識の形に野菜を抜くために作った器具(金属部品はオーダーメイド)と芯抜き器

連作の試み

(右から)1. きゅうりとパプリカ。2. にんじん。にんじんが入っていた袋などを含む。(4を作る際に出た切り屑。)3. きゅうりとパプリカ。放射能標識の黒っぽい色はナス。かなりそれらしいが、数日で色が抜けてしまった。4. ペレット状に加工したにんじん。5. これまでの失敗作や野菜クズなどを詰めたもの。あえてゴミっぽさを出している。

最終形(量産型)

「習作」と開き直っているとはいえ、やはりそれなりのインパクトを持たせたい。そのためには数で攻めるのが正解だと思い、きゅうりとパプリカ、ミニトマトを使った家庭的(?)なものをたくさん作ることにした。放射能標識のなすは事前に明礬に漬けて色止めをした。最終的には色は落ちてしまったが、色止めしないよりは長持ちした。漬け汁は上と同様5%食塩水に少量の酢、スパイスを混ぜたもの。ガラス瓶の蓋を黄色く塗装、放射能標識をペイントし、製作年月日を記入できるラベルステッカーを貼り付けた。

展示風景

フライヤーを置いているテーブルの上にさりげなく「展示」させてもらった。食塩水に漬けたものは乳酸発酵のガスで瓶の蓋が膨れ上がり、そのいくつかはプチプチとかすかな音をたて、内容物が漏れ出した。キャプションはあったが目立たないようにした。オープンハウスの片付けが終わってから、最終的な展示風景を撮影していないことに気づく。上の写真は夜間に実際の展示場所に試しに置いて撮影したもので、「本番」の展示風景ではない。本ページ冒頭の写真は展示終了後にホワイトキューブで撮影したもの。

振り返り

作り始めた時には全くどうすればいいのかわからなかったが、手を動かしているうちに少しずつ方向が見えてきた。しかし行くところまで行ったという感もなく、やはり「習作」にとどまっているようだ。 野菜に放射能標識をじかに刻み込むというアイディアはシンプルに驚きを生むことを意図したが、最終的に瓶の蓋に放射能標識をペイントしてしまった。野菜の標識だけではインパクトが薄いと思ってしまったからだ。瓶の内部の家庭的なのどかさと、外部のパッケージとのなんらかの対比を効かせられるとよかったのではないか。 「1000年待ってください」という題は企画提出の際に間に合わせでつけたものだが、ナイーブであまり良くなかったような気がする。なので、この記録ページでは〈「あはれ」の研究〉という副題を申し訳に付けてみた。

(2023年8月6日最終更新)