《117》は、NTTの電話時報サービス「117番」をモチーフにした「実験映画」ないしはメディアインスタレーションである。
展示空間には投影された映像、スピーカーからの音、少し離れた場所に旧式のダイヤル式電話機と、現在時刻を示す時計がある(2024年版では、映像と同期して点灯する電球が加わった)。映像には男が写っており、光と音の信号を合図に、2種類の動作を行う。ひとつはマイクに向かって、映像再生時の日付と時刻を喋ること。もうひとつは電話をかけること。「時報男」が電話をかけると、展示空間の実物の電話のベルが鳴る。もしそのときに観客が受話器を上げたら、男の声で、117番ふうの時報音声が聴こえる。男が読み上げる時刻は秒単位で時計とシンクロしているはずだ。しかし、しばらく映像を見ていれば、それがループ素材であることがわかる。
作者の扮する「時報男」は情報社会を生きる人間の青ざめたカリカチュアであり、技術的な時間を身体に内在し、接続と同期を永遠に繰り返す。
2024年版 大垣市における展示記録
グループ展「DX時代のメディア表現 ──新しい日常から芸術を思考する」2024年11月1日~7日 岐阜県大垣市
《117》解説
《117》は音響とインタラクティヴな要素を含む「実験映画」である。2021年に最初の展示を行った。24年に再撮影を行い、システムを大幅に更新した。
この作品のテーマは「同期」である。それは科学的・技術的な正確さや国家的な制度、芸術表現における「迫真性」、諸感覚の連動などといった多様な概念を内包しているが、《117》はCOVID-19が世界的に蔓延し、隔離生活の中で人々が新しいコミュニケーションのあり方を模索していた時期に生まれた、それらの奇妙な混成体でありる。
プロジェクションされた映像をはじめ、多くの視覚的・物質的な要素があるにも関わらず、作者はこの作品を聴覚的な作品ととらえている。それはこの作品がもたらす「同期」の感覚の大部分が、音の力に依っているからである。《117》は映画における音響ポストプロダクションの効用を最大限に使用することでそれを転倒させ、通常映画と考えられているものとは異なるものを提示する。作者が自らこの作品を「実験映画」と定義するのは、この意味においてである。
展示空間の奥にはループする実写映像がスクリーンまたは壁面に投影されており、その手前にはダイヤル式電話機と置き時計が設置されている。映像の中の人物は、信号音と点灯する電球の指令に従って2種類の動作を行う。1つはマイクに向かってある日時を読み上げること、2つめは電話をかけることである。登場人物が電話をかけると、展示空間にある本物の電話機のベルが鳴り出す。鑑賞者が受話器を上げると、NTTの電話時報サービス「117番」風の音声が聞こえる。その声は映像に映っている男のものらしい。また、映像内にあるものと同一の電球がリアルな展示空間にも配置されており、映像の中の電球と同じタイミングで明滅する。
《117》はコロナ禍中の遠隔コミュニケーションから大きなインスピレーションを受けているにも関わらず、この作品の強度は実際にシステムと「対面」しなければわからない。映像内の人物がマイクに向かって喋る日時や電話から聞こえる時報の時刻は、観客がその作品を鑑賞している現在時刻と正確に一致している。この作品はインターネットを介して取得された日本標準時のデータをもとに、コンピュータにストックされた音声データを組み合わせて現在時刻や日時を発話する。いわば「自動アテレコ装置」である。また、作品システムは鑑賞者の受話器の操作を検出して映像の再生速度の調整や音声素材のトリガーを行うので、ループ映像とは思えない生々しい感覚が生じる。映像の速度変化に伴う不自然さは、映像とは別の場所で収録された工業的な背景音によってカバーされる。
ダイヤル式電話機や電話時報(その原型は1950年代に始まり、戦後の高度経済成長期を支えた)は単なるメディア史的な関心やノスタルジーではなく、新自由主義的な停滞と無限ループの気分を表している。他方で、《117》の登場人物はコミュニケーション中毒者でありながら孤独な現代人——それはあくまで社会的な状況に置かれた者である——の寓話的な表象でもある。映像内でテイクナンバーが読み上げられ、カチンコ(映像と音声のタイミングを一致させるための道具であり、「同期」というこの作品の主題が凝縮されている)が鳴らされ、カットが入ることで、登場人物の暗鬱な行為は演技=遊戯に過ぎないことが示唆される。作者は単なる現状認識ではなく、そのゲームが唯一絶対的なものではないことをも鑑賞者に示したいと考えている。
2021年版
2021年版(林暢彦名義で発表)
(2024年12月2日最終更新)